これはどういうことだろう?



あの隙は致命的なものだった。

私は完全に不意をつかれ、その身を無防備にさらけ出してしまっていた。

そして彼女は、そこをついて一気に肉薄してきたのだ。

終わり、それはイコール私の『敗北』であり、それは『死』のはずだった。

そこで私は不覚にも目をつぶってしまったのだから、もはや救いようがない。

ただ、無意識に防衛本能が右手を強化してそれを前に突き出した……それだけのはずだ。



そう、それは攻撃なんてものでもなくただの悪あがきだったはず。

すでに『敗北』が決定してしまっていた、私の。

しかし、現実はそうではなかった。 その悪あがきが、彼女の腹をに突き刺さっていた。



思わず、それまでの敵意を忘れてしまい、ただ呆然としてしまう。



一方の目の前の彼女は苦悶と苦笑いの表情を浮かべ



「あーあ……やっぱり、わたし…できなかった…。」



そうポツリと呟き、剣を下ろした。



「なっ…?」



あれほどの勢いと、そして殺意を持っていたはずの彼女が、ここにきてこうも容易く諦めるとは信じられなかった。

私の知る、遠坂家の魔術師(遠坂 凛)が、これほど諦めがいいはずがない。

こんな風に、自分が死に掛けであっても、()の心臓に剣を突き立てたはずだ。

混乱した私はわけも分からず腕を抜いた。

何もかも、何もかもがワケノワカラナイことだらけ。



「ぐっ!!」



ゴブッという肉が軋む音、そして腹部からの流血。 ついでに彼女は、真紅の血を吐く。

赤い服ゆえに目立たないが、腹の傷はかなりの出血量だろう。

その苦痛に耐えかねたのか彼女はその剣を地面に突き刺し、何とか立とうとしていた。



なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜっ!!



ワカラナイ。あの時確実に殺せたはずなのになぜ殺さないのか?



「どうして…、殺さなかったんですか? 哀れみですか? それとも…同情!?」



どうしても、自分の顔に歪んだ笑みが浮かんでいくのを止められない。

手から滴り落ちるこの人の血が、小さな水溜りを作っていった。

だが、そんな私にも、彼女は優しい笑顔を向ける。

そう、今まで見た中でも一番の穏やかな…慈愛ともいえる笑みを浮かべて



「で…できないわ…。貴女が…死んだら…本当にひとり…になるんだから。」



そう告げた。




ああ なんて 愚かな 私 。




私に無いものをすべてもっているはずの存在。

憧れであり、妬み、嫉妬の対象であったはずの女性。

だけど、彼女は一人なのだ。

どこまでも気高く美しい存在。

だが、そうやって他の人から断絶している存在。

そして、彼女の周りに支えてくれる家族も友達もいなかった事に。

私にもそれはなかったのか――それは、否だ。

そう、私には先輩がいた。

昔は優しかった兄さんもいた。

でも目の前の姉はただ一人で、遠坂の跡継ぎとして、魔術師として孤高を保ってこなければならなかった。






なんだ……私の方が幸せだったのか。






でも……もう、全てが遅すぎた。






必死で笑顔を作ろうとする女性。

 ―――それは、私の 姉 



だが、その苦痛の所為か笑顔は歪んでいる。

 ―――それは、私がつけた傷が 原因 



それを見ても何も思わない。

 ―――だって、私はもう 狂ってしまって いるんだから






「うふふ、甘いですわね、姉さん。」



そういって口から出された声は酷く冷静で酷く冷たかった。

ほら、私は狂ってる。

救うことなんて、出来ないほど。

をれは、先輩でも、あなたでさえも、成し得ないことなのよ?



「そんな事で私が改心するとでも思いましたか…?」



その一言は彼女との決別の言葉――のはずだった。



「狂っている…フリなんて…しな、あ…くてもいい…。大丈夫…だって……」



それでも、彼女は笑っている。

唇を血で濡らしながらも、とても綺麗に。



「狂っている人間……こんなことで泣かないんだ…から」



え…? 泣いている? 誰が?

自然と私の手が、頬に伸びた。

頬に感じたのは、彼女の返り血のぬるりとした感触。 そして…伝わっていく、暖かい液体。

姉さんはまた笑顔を浮かべた。



「大丈夫…こっちに…帰してあげる…から。」



帰れるのだろうか…?

そんな馬鹿げた想いが、私の心によぎる。

兄を殺し、祖父を殺した私が。

彼女を傷つけてしまった私が。



……そんな事できないに決まっている。

いつまでも狂ったまま。 それが、私の運命だから。



だけど……帰れるんなら。



また先輩や彼女と笑えあえたら…

そして、また再び、姉さんと、呼ぶ事ができるのなら…

そんな希望(ねがい)が叶うのなら…



「帰りたい?」



彼女は杖代わりの剣に体重をかけながら尋ねる。

私はどうしたらいいのう。



頭は悩んでいたはずだった。

心も迷っていたはずだった。



だけど…体は頷いたのだ。

首は縦に動いてしまったのだ。



姉さんは嬉しそうに笑うと



「痛いわよ、我慢しなさい。」



一瞬に力を込めるように奮い立ち、腰から短刀を抜き放った。

それは、不思議な形状の短剣だ。



胸に走る痛み、それと同時だった。

私の中のどす黒いものが消えていった気がしたのは。

だけど、それどころではなかった。



私の狂気を消えるのを見届けると同時に、目の前の彼女は満足げな笑みを浮かべ倒れたのだから。




赤き弓の戦


第16話 帰還







「これで…オッケーか?」



俺は彼女に剣を渡す。

それは、かつて彼女に渡した剣は軍刀となり、やや曲がったものとなった。

だが、今回作った剣は直刀。

紛れもなく真っすぐな剣だった。

これは心境の変化からだろうか。

そんな事を考えてしまう。



「…ありがとう。でも桜を救うためにはもう一つ剣がいるの。」



だが、凛はサラッと笑顔で告げる。

クソ…これだけでもかなりの魔力を費やしたのにまださせるのかと文句を言いたくなる。

だが、彼女は真剣な顔に戻り告げた。



「たぶん、桜は私を対象として戦いを挑んでくるわ。その時私の武器がこの宝石剣。だけど彼女を救うのはそれだけじゃ足りない。」

「ほう……どういうことだ?」

「アーチャーに聞いたの。桜は狂ってるように見えて、実は聖杯の中身に寄生されてる可能性があるって。」



俺は思わず体を浮かせてしまった。

だが、彼女…あのアーチャーなら…。



おそらく彼女は桜の暴走と死の原因を研究したのだろう。

そして、結論にたどり着いたのだ。

……改めて彼女の芯の強さに敬服する。



「それで、どうすればいい?」

「寄生っていっても要は契約関係。それを破壊すればいい。」



そういって彼女が言った瞬間に作戦が読める。

彼女はあの剣を必要としているのだろう。

あの悲しき英霊の剣を。















「え…?」



思わず、私はかすれた声を上げた。

だけど彼女はピクリとも動かない。

そして、姉さんの倒れた場所には赤い池が生まれていた。



「そんな……。」



結局…私が姉さんを殺して…



“あきらめないっ!!”



不意に声が聞こえた。

その声は姉の声。

はっとして姉を見る。

相変わらず険しい顔だ。 だけど、息はしている。

まだ…生きている。



まだ助かるかもしれないのだ!



そう、確信した時だった。

不意に開きかけていた聖杯から黒い触手が伸びだす。



それはこの世の混沌の象徴。

私に巣くっていた狂気。

それが私という宿主が無くなったことで暴走を始めたのだろう。



そして、その触手は――姉さんに殺到しようとした。



これを喰らったら姉は死ぬ。

それだけが本能的に分かり、次の瞬間には私は姉の盾になるように前に立ちはだかった。

触手は元の宿主だろうとお構いなく攻撃してこの体を溶かそうとするだろう。

だけど、私は逃げない。






姉さんを守るために





それは贖罪の意識でもなく、ただ肉親を守りたいという本能で。




そう、彼女は私の唯一の本当の肉親なんだから。





その触手が私を触れるか否かの時だった。




         カラドボルグ
「―――偽螺旋剣!!」



その触手の目の前に一本の矢が刺さる。

それを理解した刹那に目の前に二人の女性が現れた。

そして…


   ア ヴ ァ ロ ン
“全て遠き理想郷”



そのうちの一人――セイバーが目の前で鞘の宝具を展開する。



それと同時だった。



 ブロークン・ファンタズム
「“壊れた幻想”」



声が響き、矢が大爆発を起こした。

その爆風は触手を吹き飛ばした。



すごい爆風が起こる。

セイバーの宝具のお陰でダメージは全て吸収されているのだろうが、それにしてもすさまじい。

だけどもう一人の女性――ライダーが私を抱いて庇ってくれた。



「無事ですか、サクラ?」



そして、私を気遣う一言をくれた。



同時にセイバーと後ろから現れたアサシンが残っていた触手に切りかかる。



「もう、全く手がかかる事をするんだから!!」



悪態を叩いているのはいつの間にか後ろに来ていた少女――たしか…イリヤスフィール。

そして、彼女はすでに凛の腹の傷に手を当て、治癒の魔術を使用していた。



そして――



「無事か…、サクラ?」



先輩が私の横に立っていた。

こんな私を先輩は助けてくれる。

それが嬉しかった。 涙が出そうになるくらいに。















桜は力が抜けたように、よろめき、それをライダーが抱きかかえた。

昨日のような、黒い影はなく、それはすでに普段の桜だった。

どうやら、彼女は自らの身を犠牲にした上で任務を成功させたのか…。



「イリヤ、凛は?」



手早く、治癒の魔術を使ってくれたイリヤに感謝しつつも、それを尋ねる。



「…少し厳しいけど…なんとかなりそう。彼女、無意識の中で自分に治癒魔術を使ってるみたいだし。」



少し安心する。すると、触手がどうやら収まったらしく、セイバーとアサシンが帰ってきた。



俺はそれを確認すると聖杯を見た。

それは見覚えのある穴だ。

幼少時の悲劇、桜の悲劇、そしてこの世界に来た時に開いていた禍々しい穴。

その邪悪さに胸が悪くなった。



「ごめんなさい…。」



か細い声が聞こえる。

誰が発したかはわかる。

だから俺は彼女に近づいた。

そして…



「私のせ…」

「お帰り、桜。」



彼女が何か言い出す前に俺は桜の頭を撫でた。



「…先輩?」

「ごめんな、苦しんでたのに気がついてやれなくて。」



その一言を聞いて、彼女はふいに口元を歪めた。

見る見るうちに、瞳に涙が溜まっていく。

しばらくの間は声を押し殺していた桜だったが、やがて声をあげて泣きはじめた。

俺はやっと桜が帰ってきたのだと実感しながら、その泣き声を聞いていた。






「で、どうする?」



桜は落ち着いた所で俺は切り出した。

すでに聖杯は殆ど開いてしまっている。

そしておそらくもうすぐ暴発し、あの10年前の悪夢が繰り返される。

それだけは避けなければならない。



「前回同様、私が…」

「あら、そんな魔力残ってないはずよ。それに凛に負担が大きいわ。」



セイバーが最初に言おうとした所を、イリヤが治癒作業を続けながら咎める。

先ほどから、イリヤはずっと魔術をかけ続けていた。



「ですが、アサシンでも不可能ですし、ライダーでも厳しいと思います。」

「あら…手段はあるわ。私には……。」



そう聖杯の器であるイリヤにはその方法がある。

だけど……



「駄目だ。それは使わせない。」



俺がそれを遮る。



「それを使ったらイリヤは生きられないだろ。」



それを聞いてイリヤは少し驚きの顔を見せるがすぐに冷静になる。



「でも私はそのために……。」

「そんな事はない。イリヤにはこれからも生きていく権利がある。」



俺はそう断言した。

甘いと思う。

かつて、凛のアーチャーであったころの俺なら一笑に切り捨てる言葉だ。

だが…俺はアーチャーではない。

その心境の変化には意識して、衛宮士郎らしく生きていた影響もあるだろう。

だけどそれは不快ではなかった。




そしてふと、どうするって聞いた自分が馬鹿らしくなった。

どうするのなんかとっくに決めているのだから。



「…俺が破壊しよう。」

「え?」

「俺が投影で破壊する。」



そう、それしかない。



「それって!?」

「それが一番確率が高い。そして…皆、今から脱出してくれ。」

「なっ!?」

「まさかっ!!」



セイバーとイリヤが声をあげる。



「別に死ぬ気ではない。万が一に備えてだ。」



当然、皆から抗議の声があがる。




「とりあえず、凛と桜はすぐに脱出しなければならない。あと凛の治療のためイリヤも。そしてそれぞれの英霊はそれぞれのマスターを守らなければならない」



そう言って彼女たちを説得した。

しぶしぶと言った感が強いが。

凛をアサシンが抱きかかえ、ライダーが桜の肩を抱く。



「先輩……。」

「桜、後で会おうな。」



俺は泣き出しそうな桜の頭を再び撫でてやる。そしてライダーに頷いた。

ライダーは同時に桜を気遣いながら離脱する。



「シロウ……。すみません、私が力不足なために。」

「そんな事はない。親父と二代そろって世話になったな、セイバー。」

「……いえ。」

「もしかしたら、君とは今が最後になるかもしれない。改めて礼を言わせてもらう。」

「そうですね。私も短い間でしたが、お世話になりました。」



そして、少し赤くなって俺の目を見た。



「貴女は私を使い魔ではなく一個の人間として扱ってくれた。その事に感謝を。」



そして彼女は一礼をする。そして走り去った。

最後まで彼女らしい真っすぐな姿だった。



「……シロウ。」

「イリヤ、悪かった、我がままを通してしまって。」

「……死ぬ気なの?」



イリヤの冷静な赤い瞳は俺を真っすぐに見つめる。

そして俺はその瞳を見つめながら首を横に振った。



「凛と約束したからな。生きてこれを終わらせるって。約束は守れない事が多かった俺だけどこの約束は守るよ。」

「そう…絶対だからね。もう……失うのは嫌なんだから。」



それは暗にあの狂戦士の事を言っているのだろう。

気がついた俺は笑顔を向ける。



「安心してくれ。君とも約束するよ。」



そういって俺はイリヤの頭を撫でた。

そして彼女にあの言葉を言う事にする。



「凛の事お願いするよ……姉さん。」



その一言にイリヤの目が見開かれる。それは思いがけない一言だったのかもしれない。

だけど、俺たちはそういう間柄なんだ。

同じ父を持つ姉弟。



イリヤ…否姉さんは少し目を伏せた後、俺の顔を再び見た。

その顔に、先程の不安の色はない。

そしてにっこりと微笑む。



「任せて、シロウ。私も待ってるからね。」



その姿は、まさに妖精と詠んでも差し支えないものだった。






「…凛」



アサシンに抱きかかえられた彼女に、そっと呼びかける。

姉さんの治療魔術のお陰だろう、頬に血の気が戻り、まるで眠っているかのように安らかな表情だ。



髪をなで、親指で唇から乾きかけた血をふき取る。



「…待っていろ。 必ず、帰る…」



耳元で囁いて、アサシンに視線を向ける。



「悪いが、頼んだ。」

「ああ、任されよ。」



彼の真摯な瞳を覗き込んでから、そっと離れる。

タイミングを見計らっていたイリヤが、凛を抱きかかえたアサシンに声をかけて離脱した。





その後訪れたのはしばしの静寂。

目の前の聖杯の穴は嵐の前の静けさといったように動きが止まっていた。

だが、再び動き出すだろう。

そしてその前にコレを破壊する事が俺の今のすべき事だ。





だから―――



「待たせたな、似非神父。ラストバトルと行こうか。」



俺は聖杯の目の前に立つ男――言峰との最後の戦いに入るために、低く構えた。





あとがき

16話でした。

桜メインのお話と言う形となり、少し短めの話となります。



この赤い弓も残すところも少なくなりました。


まだまだ荒の残る作品にお付き合いいただきありがとうございます。

あと少しですので続きも読んでいただけると光栄です。

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